長谷川眞理子

一人の食事はさびしい。私自身、やむを得ず一人で食堂に入ることもあるが、なんともわびしい感じがする。同じように一人で食べているほかの人たちを観察してみると、みんなスマートフォンを見るなど、何かしながら食べている。食べてはいるが、決して食事を楽しんではいない。 進化の歴史から見ると、ヒトの食事は必ずやみんなでとるものだった。およそ200万年前、人類の祖先が開けたサバンナに進出していったとき、動物を狩ることも、植物性の食物を採集することも一人ではできず、仲間と一緒に行った。そして、食料をキャンプに持って帰り、みんなで分けて食べた。 20万年ほど前から、私たちヒト(ホモ・サピエンス)が進化したが、ずっとこのような狩猟採集生活だった。獣でも魚でも、たんぱく源になる動物を捕獲し、食べられるように加工するには手間がかかる。種子、地下茎、葉などの植物性食物も、そのまま食べられることはほとんどない。あく抜き、毒抜き、煮て柔らかくするなど、何らかの加工が必要である。これらの作業には火が必須だ。ガスなどないのだから、火をおこすのはこれまた大変な仕事。かくして、みんなが炉のまわりに集まって食べることになる。